ヨガの八肢則とは? 1

インド古典ヨガの哲学的な教えには、マハリシ・パタンジャリが紀元前3〜5世紀頃に編集したと考えられているヨガの聖典「ヨーガ・スートラ」の中に出てくる、アシュタンガ=八肢則(はっしそく)という八つの部門からなる体系があります。八部門はいずれも同等に大切です。最初の部門から順番にひとつずつ解説をしていきたいと思います。

はじめの二つの部門 「ヤマ」と「ニヤマ」は、ヨガの修習するにあたっての予備条件です。

日々の社会的・個人的行動規範といった道徳的な戒律を守ることによって、心を浄化し、平穏にするのが狙いです。

第一部門 ヤマ/禁戒  日常生活で行なってはいけない5つの心得。

アヒンサー/非暴力
もともとの語源は、苦痛を引き起こさないこと。

行動、言葉、思考のレベルで他者に暴力をふるってはいけない。

誰に対しても怒りを抱かないこと。自分自身を大切にすることからはじまります。アヒンサーに徹した者のそばでは、すべての敵対が止むと説かれています。

サティヤ/正直、嘘をつかないこと
嘘を言わないこと。

自分の利益やエゴを守るために、嘘をついてはいけない。ただし、他者を傷つけるようなことであれば、真実であっても言わない。その場合は、きちんと言わない理由を正直に言えばよい。第一にアヒンサー(非暴力)が優先される。

嘘をつかずに誠実でいるためには、言動、言葉、思考を日頃から一致させることを心がけ、自分に正直に生き、心が穏やかな状態でなければなりません。

サティヤに徹した者には、行為とその結果がつき従うと説かれています。

アスティヤ/不盗
盗まないこと。他人の物、時間、信頼、権利、利益などを盗んではいけない。自己中心的な行動はやめなさいという教え。

自分自身がちっぽけな肉体だと思うところから、その肉体の感覚を満たそうと執着や、名声やよい評判を得ようというエゴが生まれる。

約束の時間に遅刻したり、行列に割り込んだり、相手の話をきちんと聞かずに遮って自分が話すことも他人の時間を盗んでいることとされ、アスティヤ(不盗)に反する。

アスティヤに徹した者には、あらゆる富が集まる。

ブラフマチャリヤ/禁欲
もともとは、性行為をせず、生涯を独身で過ごすことと解釈されていた。

現代では、妻帯者のヨギも多く、修行途中のヨギに限定されている。しかしながら、パートナー以外の異性とむやみに性的関係を持つことを避けることを含んでいる。むやみにエネルギーを放出しない。

ブラフマチャリヤに徹した者には、精力を得る。

アパリグラハ/不貪
ふたつの解釈があります。ひとつは、最低限度の必需品以外は所有しないこと。ふたつめは贈与を受けないこと。次から次へと湧き起こる、尽きることのない欲望に身を任せない。何かを必要以上に所有しない。

程度を超えた欲を持たず、独占欲を制御することが目的とされる。必要以上に所有すると、執着や、それを失うことへの恐れを生む。

外の物質世界に縛られず、自らに満足感をもたらし、他者から奪うのではなく、与えることへとつながる。

第二部門 ニヤマ/勧戒  日常生活で遵守すべき5つの行い。

シャウチャ/清浄
自分の身体と心をいつもきれいな状態に保つこと。

他人に不快感を与えないよう、身だしなみを整えることももちろんのこと。身体が浄化されると、心も浄化される。ここでいう心の清浄さとは、嫉妬や嫌悪などネガティブな感情と思考を排除するよう心がけ、純粋であること。そうすると心の集中はおのずからはじまる。また、感覚もすべて制御され、自己実現への適合性がもたらされるといわれる。

サントーシャ/知足
足るを知ること。

ここで挙げられる知足と満足とは区別する必要があります。幸福を求めて外界へ赴くのではなく、ただ、あるがままであること。自分の周りにあるもの、たとえば環境、いま置かれている状況、人間関係、自分の能力、健康、物質的なものすべてをあるがままに受け入れる。人の欲望は尽きることがなく、外の状況や変化してしまう諸々のことに幸福を求める限り、真の幸福は見つからない。自分自身で、いまあることに感謝をし、満足することが真の幸福への近道。

サントーシャによって、無上の喜びがもたらされる。

タパス/苦行、自制
タパスの元来の意味は、「焼くこと」である。断食という肉体のタパスによって、余分な脂肪とともに、身体に蓄積された毒素を燃やすこと。焼くことによる苦しみや痛みを受け入れるという意味で、精神鍛錬のために困難なことを実行することを意味する。または、人間として生きていく限り避けられない人生のさまざまな問題や試練を受け入れる強さを培うこと。ただし、ただ単に自分を痛めつけたり、我慢を強いることはアヒンサー(非暴力)に反する。

どんなに苦しい状況や試練に出逢っても、自分の成長の糧として受け入れられる強さを養うためにヨガを実践します。

スヴァディアーヤ/読誦、研究
心を調える働きを持つ書物(聖典、マントラ、名著、人格者が書いた本、本質的なことが書かれている本など)を読むこと。自分の心を善い方向に導いてくれる本を読むこと。得た知識を実生活を通じて、智慧に昇華させ、人格を成長させることを意味しています。

イーシュワラ・プラニダーナ/信仰、自己放棄
唯一絶対なる存在(宗教では”神”と表現される)を信仰する心をもち、それに祈りを捧げること。自らに備わっている神性を信じること。万物に対して、感謝と尊敬の気持ちを持ち、献身的な心を持って生きようとすること。自分ではどうすることもできないこと(偉大なる自然の力、時代の変化など)を受け入れ、身を委ねること。

ここまでがヤマ、ニヤマの解説でした。これらは、基本的かつもっとも実践するのが難しいとも言える教えとなっています。本場インドのアシュラムでは、ヤマ、ニヤマを実践できなければ、アーサナ(ポーズ)の練習をはじめるスタート地点にさえ立ってない、と言われることもあるそうです。

三部門目にお馴染みのアーサナ(ポーズ)がやっと登場いたします。

第三部門 アーサナ/坐法 快適で安定感のある姿勢

一つの姿勢をずっととっていると、すぐに足や腰や肩や背中のことが気になって仕方がなくなります。身体が完全に健康で毒や緊張から自由でないと、快適な姿勢というのは容易には得られません。こわばりや緊張を生む身体の、心の毒は何でもわれわれを壊してしまう。しなやかであることが大切です。

また、瞑想を深めるための座法でもある。様々なポーズの実践により、体を鍛錬し、長時間の瞑想に耐えうる状態をつくる。また、心と体はつながっているので、身体能力の向上は、心の調整にもつながる。そして、冷静かつ客観に、自分の身体感覚や心の状態を観察し、他者と自分を比べたり判断することなく、こだわりをなくし、宇宙と一つとなるような感覚で集中して行う。

さて、この八つの部門は大別して二つの部門にまとめられます。第一部門から第五部門までは、バヒランガ(振るまいの、という意味)ヨガと呼ばれています。そして、この先につづく三部門は、アンタランガ(内面の)ヨガと呼ばれています。

 

このつづきは、また今度。